マスターシーン

潮風がひげをなぶる。
洋上にあってもキャットフォークの伊達者、サミュエル・グッドマンの装いには一部の隙もなかった。優雅で気障な仕草でジブリールに挨拶を送る。
「艦隊の集結は遅れています、最早決戦には間に合いませんな」
アイゼル水軍提督、連合艦隊指令の少年ジブリールは不快感から軽く顔をしかめた。他の兵には悟られぬように。
もとより艦隊決戦こそはアイゼル水軍の望むところであった。散発的な襲撃と略奪を繰り返す、海賊ギルドと名乗る叛徒どもを一網打尽にする千歳一隅のチャンスである。
だがそれも、水軍の望むとき望む場所であってこそだ。
彼我の戦力差は、アイゼル艦隊に有利であった。総数、装備、ともに海賊などに太刀打ちできるものではない。魔法硬化を施された鉄鋼艦を主力とし、火砲およびアダマンティン努弓で武装を施されている。水兵にも火器は十分数がいきわたっており、洋上戦闘においてこれらの装備は強力なアドバンスとなるだろう。
だが、これらも十分な数がそろえばの話だ。
装備で劣る海賊船艦の行ってくる戦法は一つに絞られる。唯一勝る点での速度を生かし、接舷しての切り込み攻撃だ。まさに海賊の真骨頂といえよう。
これに対応し、当初は複数艦が相互に支援射撃が取れる陣形を想定していた。演習では、接舷すら許さずに敵艦撃破も可能との分析も出ている。
「だが、それもこれも、連合艦隊が集結していればこそだ」
ジブリールの呟きを、サミュエルは聞き流した。言ってもせん無きことだ。
「乱戦が予想されますな」
サミュエルは満足げにうなずいた。これでこの会戦の行方は分からなくなった。この伊達男の見立てでは、勝敗は五分。苛烈な戦闘になるのは必至であり、それでこそ叙事詩の題材にはふさわしい。伝承の奏伝者を自任する吟遊詩人であるサミュエルにとっては、これこそ望むところなのだ。
「被害が、大きくなるな」
「雄志の若者の散る命でこそ、あがなえるものが有る。国とはそうした物です」
「ふ、ん。まるで生贄だな」
「いかにも。炎の中に供儀を要求するのは、なにも悪魔だけではありません」
サミュエルは平然と言い放つ。
ジブリールは冷えた視線でサミュエルを、自分の部下をにらみつける。(「コイツ、どこまで判ってやっているんだ?」)
「また、血濡れの惨劇の中からこそ、英雄は生まれ輝きを放つものです」
続けてサミュエルは目の前の主に向かって語る。試すように、挑発するように。
「…、っ! ディープめっ!」
ジブリールは自分を脚本家としていた。監督と演出も手がけているし、プロデュースも行っていた。だが、自分が舞台に上ることだけは慎重に避けていた。
だが、事態はそれを許さなくなった。
「イーグルアイ、アンジェラ、英雄の役どころはナバロンの子供たちにこそ用意したものだ」
それらの手駒をジブリールは失ってしまった。それもこれもナバロン・ザ・ディープ、海賊王の後継を名乗る少年の仕業であった。
神出鬼没の海賊ディープ。一度だけ見たその姿、忘れるものか。
「ナバロン・ザ・ディープの名は、徐々に南海諸島に広まりつつあります。しかし、恐るべきは彼の仲間でしょう」
サミュエルは、ジブリールの個人的な諮問機関「ラナンキュラス」の情報の長である。
「ラオの教会審問官は、伝説的なラオ司祭の身内だそうです。そして、失われし知識の塔より来るグレイエルフ。天剣絶刀の使い手は、破邪顕正を受け継いでいるとの噂です。個人的には、ハイエルフの偵察兵に注目をしております」
滔々と語る詩人は、今にも歌いだしそうではないか。
「さらには、あの、物部耀穂の直系の末裔が側に侍っています」
と、そのとき巨大な影が、語り合う主従の傍に現れた。
「なにぃ!物部耀穂だとう!」

「おおう、これはこれはウリエル・ブライト殿、ご無沙汰でございます」
突如現れた人物は巨躯を誇っていた。頭頂部には聳える二本の角、波打つ筋肉が全身を隈なく覆い、携える棘鎖の怖ろしげな輝きよ。ウリエル・ブライトこそは、最強のラナンキュラス南海諸島に並ぶ者の無い、ミノタウロスの武人であった。
ウリエル、島の守りはどうした」
「耀穂の末裔、その話は本当だろうな?」
ジブリールの問いに構わず、ウリエルは吟遊詩人に重ねて問うた。
「はい、まず間違いの無いことかと。名を物部空穂、在所まで赴き調べました由に」
「ぐふ、ふふふう!」
ウリエル笑う。小さく深く。抑えきれず、いかにも堪らぬといった風に笑う。
「ならば、そヤツはオレの獲物だ。手出し無用ぞ」
ウリエルの身勝手な口ぶりに、流石に声を荒げてジブリール
ウリエル・ブライト。迷宮守護の任はいかがしたか!」
鋭い声を発した小柄な少年を見下ろしたウリエルは、しかし翻って臣下の礼をとり、跪いた。
「万事滞りなく。此度は、その事を報告に参った次第。戦陣見舞いも兼ねておりますれば、お叱りご容赦願いたい」
「承った。見舞いご苦労。ただし報告は無用。貴殿は大任有る身、一所懸命に邁進される様願う」
少年提督と、人怪の武人の視線が絡み合う。
「承知仕った」
有角の武人は頭をたれて、平伏した。
少なくとも、周囲で遠巻きに事の成り行きを見守っていた水兵たちには、そう見えた。
しかし実際には、平伏しながらも会話は続いていた。

(「此度の件、絵を書いたのは貴様だ。主上に直接拝謁給える貴様の立場にも、配慮はする。この一件が片付くまで、ワシは貴様の指図で動く約束、たがえるつもりは無い。だが!」)
(「だが? だが何だというのです大佐殿」)
(「そうそれよ、本来はワシが上級という事を忘れてもらっては困る。その上で要求する。物部の末裔はワシのものだ、ワシらのものだ。殺すこと、まっことまかりならん」)
(「生きて捕らえよ、ということですか。しかし大事の前ですよ?特にあなた方には、帰参が叶うかどうかの瀬戸際ではありませんか」)
(「なれど。いや、なればこそ。三千年の虜囚の辱め、晴らさずに帰還できようものか。これは、囚われの72鬼の総意だ」)
(「…、仕方ありません。了承しました。しかし、力の器入手こそが最優先目標です。これはお忘れなき様。階下の御大将にも、念押しをくれぐれもよろしくお頼みします」)
(「心得た。配慮に感謝する」)

以上の会話は、思念のみによって行われた。
ウリエルは、加虐の期待と喜びを瞳に光らせて転移し去った。転移は、島の地下から発掘された遺産によるものだと、水兵には説明してある。
「お話はおすみですかな?」
サミュエルは飄々と聞いてきた。この男には、幾分かの真実は知られている筈なのだが。何故コイツは此処に居るのだろう。
「あなたの望みをお聞かせ願えませんか?」
僅かに仮面を外す。ほんの僅かに。しかし、これで十分だろう、この男には。
「怖ろしい事を問いになられますな。うかつには答えられませんぞ、特に貴方様には」
怖ろしい?ウソをつけ。へばり付いたニヤニヤ笑い。その裏の心理を汲み取ろうと、注意深く見守る。知りたいのは道化の仮面の裏側だ。
「しかし、問われて答えぬというのも、某の信義にもとるというもの。しからばお答えしましょう」
まるで満場の観客の前であるかのように、サミュエルは気取った仕草で語りだす。いや、これは平素からだ。この男は、常に劇場に居るのだ。どこにあろうとも。
「某の望むものは神話にございます」
「吟遊詩人らしき答えですね。ですが、あなたは古今の神話に精通していると思っておりましたが。いかな神話をお望みですか?」
ニヤリ、道化が笑う。
「未だ生まれ得ぬ神話にございます」
リュートを取り出し爪弾く、流れ出た旋律は風に乗る。
「某が望むのは神話の創造。語り部が、語りたい物語を得るのは無上の喜び。しかし、今、某の居に沿える神話はこの世界にはございません」
道化の仮面が外れる。
「ならば、こさえるのみに御座います。某が語るに足る神話を!」
外れた仮面の向こうには、何も無かった。空虚な闇。薄っぺらい、役柄こそがこの男の本質か。この男、本当に人か?人としての魂はどこへやってしまったというのだろうか。
「くふ、ふっふふ」
其処まで考えて、ジブリールは可笑しくなった。私がよもや、魂の在り処に疑念を持つとは。そんなもの決まっているではないか。
地獄だ。
「素敵なお話でした」
サミュエルは満足げにうなずいて、優雅に一礼する。
リュートの旋律は風に融け、いまや洋上に並ぶ軍船の上、誰もがジブリールのほうを見ていた。
ジブリールも船舟を、其処に並ぶ顔を、一つ一つ見渡していく。
少年提督の背後に控えていた、艦隊旗艦の艦長が叫ぶ。
「謹聴!」
サミュエルがジブリールの言葉を飛ばすために、呪文をささやく。
「諸君。輝かしきアイゼル水軍の諸君。決戦のときは来ました。今こそ南海の、真の統一のときが訪れたのです」
決して大きな声ではなかった。しかし、その声は深く艦隊に染み入るように広がる。
「諸君。この艦隊に属する、全ての諸君。これから行われる戦いのため、訪れるアイゼルの栄光のため、勝ち取る南海の恒久平和のため。諸君!諸君の魂を私に捧げなさい!」
答えは歓呼によってなされた。
どらが鳴り、艦隊旗が揚げられる。
兵の顔は雄々しく輝き、戦闘の栄光に満ちていた。
なぜならば、彼らは英雄を得たからだ。ともに在る英雄が、誉れを呼ぶからだ。
その様子を見て、少年提督は笑みを浮かべた。
こみ上げて来るものが抑えきれず、いかにも堪らぬといった風に笑った。