トリフィド時代―食人植物の恐怖 (創元SF文庫)

トリフィド時代―食人植物の恐怖 (創元SF文庫)

読了の19


誰にでも古いSFを読み漁る時期というものがあるものだ。同居人K太が3年ほど前がそうだった。
SFといっても人によって趣味は多様で、彼の方向性とオレの好みはずいぶんと違うなぁ*1、などと本をつらつら眺めていると、懐かしいタイトルを発見した。
「トリフィド時代」
オレが小学生の時に読んだ本だ。


四年生か、五年生の頃だから、もう25年ほど昔の事となる。やあ、四半世紀も前の話か。
薄暗い学校の図書館で、当時のオレは昔のSFを立て続けに読破していた。「透明人間」「ジキル博士とハイド氏」「海底二万リーグ」「宇宙戦争」あと、ちょっと違うが「ドリトル先生航海記」も。
そんな中に「トリフィド時代」はあった。小学生向けの抄訳版だったと思う。


衝撃的だった。
滅ぶ世界と、異形の侵略。失われていく文明と、残された人々。
なんというか、後にオレが「これは!」と思う小説のアーキというか。新井素子の「ひとめあなたに…」とおか菊池秀行の「風の名はアムネジア」とか、そういうの。
崩壊していく世界の描写。


さて、幼い日の思い出を胸に、再び頁を捲るのだが。これがまた記憶が当てにならないというか。
冒頭部分は記憶の通り。
トリフィドに関する解説も、よほど強烈に印象に残ったのか、ほぼ記憶していた。
しかし、登場人物に関するディティールは殆どごっそり抜け落ちていましたよ。や、仕方がない事ではあるが。
変に記憶に残ってた人たちも居たけどね〜。豆の缶詰で買収したばあさんが、小汚いマイスプーンを取り出すところとか、生き残った幼い姉弟がお菓子だけをご飯にして、お菓子では食事として満足できない事を理解したりとか。
ホントに瑣末な事(笑)
不思議なもんだ。


古典には不思議な風格が宿っている。この小説も同じだ。
この小説は、発表されたときですら(1951年だ!)目新しいアイディアではない、と評価された。
しかし、この一冊もって作者は一流作家の仲間入りを果たしたし、作品は時代を代表する傑作となった。(実にSF御三家以前の作品であり、SFの代表作というような位置づけであったらしい)
すなわち、この作品はSFという括りではなく、小説として一流であったのだ。現に、60年たった今でも素晴らしい、圧倒的な文章をオレに見せてくれた。
構成が、描写が、いや全く隙がなく、名人による演奏のように流れていくのだ。
同居人K太がオレに手渡すときに「良い小説だよ」と言ったが、ああまったくだ。その通りです。


「誰かがミサイル飛ばして、全てが終わる日を〜」と、90年代のアニメの主題歌*2が歌っていた。
世界の破滅を望むのは、いつの時代にもある、普遍的な欲求なのかもしれない*3
デヴィット・ブリンの「ポストマン」*4や、アニメの「スクライド」とか、ラノベならば「キノの旅」なども。
世界の破滅と、再建は繰り返し語られるテーマなのだな。ゆえにテーマ自体が古くなってしまう事も、ない。
だから、時代に洗われた古典の名作は、揺ぎ無い力強さをもって何時でも目の前に現われるのだろう。常に。新しい発見として、再発見されるのだ。

*1:渚にて…」を読み気がしないんだよなぁ。

*2:山本リンダの歌ってたヤツ

*3:ゲーム盤をひっくり返したくなるのは、誰にでもあることだ

*4:小説を読んで欲しい、それも前半部分だけでもいいが