♪アニメが好〜きだ

長門長門と各所でその名が囁かれて不審に思ったり、長門萌え?。
連合艦隊の旗艦を務めをしたが、あのような地味な艦が人気になるとは。昨年の大和ブームも一過性のものではなく、本物になったのかと。
以上、「涼宮ハルヒの憂鬱」を小説もアニメも見ていない人の錯誤*1(笑)

米国のアニメコンベンションの光景が報道されていた。曰く、「日本のアニメにはテーマがあり、キャラクターはメッセージを持っている」だそうだ、何所にだって熱いアニメ青年は居る。このコンベンション、今年は三万人を超えたとか。たいしたものである。

そも、日本のアニメはディズニーの影響下で始まった。というかディズニーを志向した漫画作家の情熱によって始まった。
作家は偉大な才能だった、が文化人にはなり得なかった、経営者にも。彼の創作は、文化祭的、同人的な理想の追求に終始し、夢の実現のために現実的な方策の殆ど(例えば賃金)などは犠牲になった。
彼が居なくては日本のアニメは立ち上がらなかったが、現在も抱える業界の病根をも生み出しもした。
時は降り、市民権を得たアニメはスポンサイドの面から多くの制約を受けつつ作成されていく。
完成形を見るのは「コンバトラーV」*2ではなかろうか。このとき始めて、スポンサーである玩具メーカからデザインの提示が行われ、アニメが制作された。後に「30分のCM」と現場の自嘲の科白を生む事になる。
どれだけのヒット作を産もうが*3、それは関連賞品を売り出す事でしか還元できない*4
しかしその状況はビデオデッキが破壊する。繰り返しの視聴、このことはアニメに作品性という概念を持ち込んだ。一度放送すれば、ハイ終わりではないのだ。コレは作家が生まれることを意味する*5
途中、家庭用ゲームの台頭により危うい局面があったものの、アニメはついに作品が商品となる事をセーラームーンで、次いでエヴァンゲリオンで証明してみせたのだ。

時代は情報化社会と呼ばれる環境を持ち始めていた。コンピューターの急速な進歩はアニメの世界にも強い影響を与えていく。
メカ作画の労力の大幅な低減(彩色のパートのオバちゃんに最も評判が悪かったのがメカなのだw)
レイヤーを重ねる事の制限の解除(セルフィルムは6枚を重ねるのがやっと)
何より着色の現場の変容はどうか。スタジオ間をつなぐ回線はどれだけの作業スピードアップを生むか。
重ねて、成熟したアニメファン層は購買力の高い市場へと転じていた。
かくて作られるアニメの数、数。
その勢いは、既に高い評価を得ていた米国を初めとする世界各国をも巻き込んでいく。
ORAKU、ANIME、HENTAI。

だが今年に入って、アメリカでのアニメの売り上げは冷え込んできていると言う。ファンイベントの動員数は増え、ムーブメントは加熱してきているのに、だ。
理由はインターネットだ。
お分かりだろうと思う。最新の、高品質のアニメが無料で手に入るのだな。ネットで。
音楽業界では数年前からずうっと言われ続けてきたことだ。実際、音楽はライブに回帰する動きがあるし、多分それが正しい。
でも、アニメのライブって何さ?無理だよね。
じゃあどうするの?アニメで商売できなきゃ、結局はアニメは滅びちゃうよ?
勿論方策はある、キャラクタービジネスだ。アニメのキャラグッズを想定した作品作り、ぶっちゃけキャラを作った後、それを売るためのアニメを作るのだ。
・・・・・・。
DVDBOXの初回版にはノベルティがたくさんつくだろ?そいつと大差はないさ。

アニメは大衆娯楽で、娯楽は少なくとも現代では消費され行くものだ。
また、日々変転していく時代を映すものでもある。
とりあえず、ただの一消費者としては、アタマ空っぽにしてアニメ詰め込むだけである。

○付記
やわらか戦車に商品化の動きがあるそうだ。
フラッシュアニメは個人作業で出来るアニメ作りであり、今年に入って大きく注目されている分野でもある。
ここでフラッシュアニメ作品にキャラクタービジネスに切り込んでいける可能性があると示してみせる結果になれば、また面白い可能性の扉が開かれるのではないだろうか?
ネットで評価を得て、その上で企業に売りに出す。新しい作家の形、21世紀の作家の形だよな。

*1:「随分と確信的な錯誤もあったものだな?」「長門といえば戦艦だろう?普通。」

*2:だが、この事を逆手に(かどうかは不明だが)長浜監督は高い物語性を持った作品を続けて作り上げる。コンV、ボルテスとその最終回に震えた子供のなんと多い事か!敵側に重点を置いた作激にも注目したい

*3:それを踏まえて、やはりヤマトは偉大だナァと思ったり。アニメが汚い大人(褒め言葉、西崎プロデューサねw)に出会えた記念的作品でもある。

*4:ガンダムのヒットはガンプラブームと言い換える事が出来ると思う。マクロスはまた違ったムーブメントであるが、アングラにもぐっていってしまうからナァ、アレ(笑)

*5:ビデオ以前に作家が居なかったわけでも、作品論とそれを交わす場が無かったわけでもないのだが。だが、それ以前とその後ではやはり「違う」と言わざるを得ないかと。