種子島

南方より帰還。
雲ひとつ無い南の島を、喪服でうろつくイベントも終了。
長い闘病生活を経ての最後、穏やかな顔をしておりました。
戦中は福岡で通信兵をしていたとか。前時代的な男性主義者というか、権威主義者で母達はずいぶん泣かされたとか。
病を得てからは、めっきり優しくなってしまったそうですが。
同居人K太はしばらく鹿児島に棲んでいたので、会う機会は多かったそうですが。オレはといえば、祖父とは意識して距離を置いていたので特に思い出はなく。
火葬場で「最後のお別れを」といわれた時に、ろくに言葉も交わさなかったオレには、かける言葉も有ろう筈も無く。
不幸者ですまん、じいさん。

あちらの葬儀は神道でありました。
神を奉る神職が、ただの人を送るわけで。多分島独特なんじゃなかろうか、と。
宮は熊野大社
祝詞の中に、根の国の大神とあったけどイザナミ命の事かいな。

葬式を挙げてくれた神主さんは伯母の同級生だそうで。
このことに限らず、島のいたるところに親戚だの知り合いだのがおり、移動のたびに挨拶が交わされ。なるほど、これが島の生活かと。