その店は、男が知っている中では割とマシな部類の場所だった。
キャバレーの持つ猥雑さとは無縁で、スナックの様な安っぽさも無い。
クラブのように気取っているわけでも無く、しいて言えばサロンといった感じの節制のある雰囲気を奇跡的に維持していた。
この街で、「しがない」という言葉を噛み締める様にして生きている探偵である所の男にとって、何にも変えがたい場所でもあった。
今も、探偵である男は部屋の片隅に設えられているバーカウンターに座っていた。
カウンターの中には、微笑んでいるような、眠っているような顔をしたバーテンダーが控えている。
余計な口は開かない、物静かな男だ。

踊るように跳ね回る指先が鍵盤を叩くたびに、零れ落ちる旋律が心を粟立たせる。
興に乗って無心に演奏に没頭する連れの姿を見て、しかし探偵は不機嫌になっていた。
「上手いな」
呟いた科白とは間逆の表情、さも不味そうにオースティンニコルズを啜る。
その姿を見て、バーテンダーは僅かに苦笑した後に、そっとお代わりをを差し出した。
目の前に置かれたワンショットグラスをしばし睨み付けた後に、バーテンに視線を送る。
カウンターの向こう側の男はさりげなく肩をすくめて見せた。
探偵は無言でため息をついた。
そのとき、ラウンジの中にパラパラと拍手が巻き起こった。
演奏が終わったらしい。
奏者は上機嫌で周囲に愛想を振りまきながらカウンターに近寄り、探偵の隣の止まり木に腰を下ろした。
「あたしも同じものを」
「だめだ」
間髪入れずに入った否定の声に、少女は上機嫌のまま膨れて見せた。
(器用なやつだ)
「未成年だろう?ぺリエを頼む」
「けち」
探偵は、連れから発せられた不満の言葉を礼儀正しく黙殺した。
バーテンが流れるような動作で、少女の前にグラスをサーブする。
気を悪くしていたお姫さまは、だが目の前のグラスを手に取ると一息に飲み干した。
「ぷはー、おいしい!」
にこやかにバーテンに語りかける。
バーテンダーも笑顔で答えながらお代わりを用意する。
カウンターを挟んでなごやかに笑顔を交わす客と店員を眺め、探偵は一人、やはり不機嫌だった。