葬式

31年ぶりに生まれた場所に足を踏み入れた、まさかまた大蛇山囃子を聞くことがあろうとはなぁ。
駅舎はオレが小学生のころから変わっていなかった、ここにはバブル経済も21世紀も到来しなかったらしい。

ハハノヒトが出ていったあと、オレに飯を食わせてくれたのはバアサンだ。一番生活を共にしていたし、高学年になってからは一緒に働いてもいた。
バアサンの残した言葉は二つ、「人の振り見て我が振り直せ」と「為せば成る」だ。
この「為せば成る」には「為さねばならぬ何事も」という下の句が付く、うん、違うね。わざとなのか、単にバアサンが間違って覚えたのか、結局は聞いてない。
ともかくも、この間違った「為せば成る」は、間違っているゆえに「人の振り見て我が振り直せ」と合わさって、自戒の言葉として常に身の内にある。

バアサンは最後の日、オレに恨み言を言って別れた。次に顔を合わせたのは今、棺桶の中でだ。不孝者であること、謝罪した。

父方の人たちは、いい人たちだった。
叔母たちの顔は、何とか。一つ減っていたが。
べらぼうにいる従弟たちの顔と名前が一致しないのは仕方ないだろう、四つ下のオトートはともかく、四歳の時以来の弟の顔が判らんのは最早笑い話じゃないかな。たぶん、頭の形を触らせてもらえば判るかもしんないけど、35のおっさんの頭を撫でまわしたくはない。

父親は飄々とした男だった。
仕方ない、この子ありのこの子の方がオレなんだから。

三原に帰り着いたら22時を回っていた。
うちがわにねっとりとしたものが、まとわりついて居る様な、落ち着かない気分だった。
もとより伴侶もなければ、今この地には友も居ない。自分で飲みこんで消化するほかない。
深夜のコンビニでワインとチーズを買ってきた。